新聞に、囲碁将棋の棋譜が掲載されています。囲碁将棋のタイトル戦はたいてい新聞社が主催していて、その新聞にしか棋譜が掲載されないということになっているようです。
先日、その棋譜の解説を、その将棋の試合に負けた棋士が書いているものを読みました。解説はたいてい囲碁将棋にくわしい記者が書きます。棋士が自ら解説するのは、はじめて見ました。負けたあとに依頼するものではないと思いますので、試合の前からお願いしていたのでしょう。しかし、自分の敗戦の様子を細かく解説するのは心理的にどういう気持ちだったのでしょうか。
将棋はあいさつにはじまり、あいさつに終わります。試合が終わるのは勝負が決まったからではなく、棋士が負けを認めたからです。「負けました」のことばがないと試合は終わらないのです。
テレビの棋戦などを見ていますと、わりとたんたんと、あっさりと負けを認め、あいさつのあと、同じくたんたんといまの勝負について感想をいいあいます。しかし、棋士の方の本を読むと、表面上はそうしているが負けたときの悔しさはすさまじいとのことでした。まあ、そうだろうなあ、と思います。棋士の方は負けず嫌いが多いとのことで、その方が強くなるそうです。藤井七冠も相当の負けず嫌いらしいですよ。
さて、今回の負けた棋士の棋譜解説です。くわしい内容はわかりません。しかし、やはり、当事者ではなければ書けない視点が随所に見られました。相手の棋士へのリスペクトと、負けを認めたものの謙虚さ。負けた棋士の将棋はあまりよいものではなかったようです。そして、それがいまの自分の実力なのだ、と。なにか静謐な映画を見ているように感じられました。世の中にはまだこんなにも透き通った美しい世界があるのか、と思いました。
ミライアカデミーという小さな世界が、子どもたちにとって、気高く美しいものとなるように、もっとがんばらなくては、とぼくは思いました。