阪神タイガースが38年ぶりに日本一となりました。校舎のスタッフや、生徒や、保護者の方にまで、お祝いのお言葉をいただきました。ありがとうございます! なにかあるごとに、阪神タイガースのことを書き、もちろん、今回の日本シリーズ最終戦も号泣しながら見つづけ、書こうと思えばこのあとコラム30回分くらい書きたいことはあるのですが、いまはこのよろこびの余韻にひたっていたいと思います。お許しください。なにせ38年ぶりのことですので……。ははは。
相手チームはオリックスバファローズでした。強いチームでした。本当に紙一重の差だったと思います。現在はパ・リーグを3連覇中ですが、低迷していた時期も長く、その前に優勝したのは1995年と1996年のときでした。1995年といえば、阪神・淡路大震災の起きた年で、そのころのオリックスはバファローズではなくブルーウェーブという名前で、神戸を本拠地にしていたチームでした。
オリックスブルーウェーブはイチロー選手を中心に、「がんばろうKOBE」を合言葉にして見事に優勝し、神戸の人たちに勇気を与えました。流行語大賞にも選ばれた「がんばろうKOBE」ですが、これは、もともとラジオの番組から生まれた言葉なのだと、新聞で読みました。震災の翌々日、ラジオ関西のパーソナリティだった俳優の堀内正美さんは語りかけました。
「もうすぐレスキューが来ます。いっしょにがんばりましょうね」
ライフラインが寸断されていた神戸市内の人たちに、困りごとがありましたら、この番組の番号に電話をかけてください、と呼びかけ、伝言板の役目にもなったそうです。そして、それを読み上げながら自然に「いっしょにがんばりましょうね」とくりかえし、ボランティア組織団体『がんばろう!! 神戸』を立ち上げましたところ、オリックス球団からも連絡があり、その言葉を自分たちも使わせてもらえないかということで、快諾したそうです。ユニフォームにその言葉は掲げられていました。
流行語大賞を受賞した数日後、当時の仰木監督がボランティア団体の事務所におとずれ、これは本来みなさんのものですから、とトロフィーを置いていこうとされたそうです。
ひとつの言葉に、多くの人たちが勇気づけられ、そこにさまざまなドラマがあったようです。その新聞記事を読み、とても感動しました。いまのオリックスバファローズの監督、コーチの多くが、当時を経験しています。しかし、そのあとに生まれた選手も増えてきました。語り継ぐべきことは伝統として受け継ぎ、今後も神戸の人たちへ勇気を届けてほしいと思いました。