いま、レイモンド・チャンドラー作『待っている』という中短編集を読んでいます。チャンドラーの生んだ私立探偵フィリップ・マーロウは、ハードボイルド小説の世界では神様のような存在で、何度も映画化されたりしていますが、そういう小説に興味のない方にはとことん無縁な存在かもしれません(ぼくはとても好きなのですが)。
では、なぜこのような作家を先生のコラムでとりあげたかといいますと、この本に載っている中編『犬が好きだった男』が、後の長編『さらば愛しき女(ひと)よ』の骨子になったと訳者あとがきに書かれていたからなのです。『さらば……』の本がうちにありましたので、さっそく比べてみました。
『犬が好きだった男』 68ページ
『さらば愛しき女(ひと)よ』 313ページ
出版社が違いますので単純に比較はできないのですが、それにしてもかなりの分量が増えていることがわかります。内容に関しましては、主人公がまず違います。しかし、これは名前が違うだけで本質的には同じ人間だと思います。ですが、主要人物が大きく違いました。『犬が……』の方に出てくる犬の好きな悪党と妹が、『さらば……』の方では、強烈な印象を残す、もっと悪い人間として出てきます(兄妹でもありません)。彼らは出てくる場面はとても少ないのですが、非常に印象深く書かれています。また、『犬が……』の方はタイトルからもなんとなく伝わるように、わりとユーモラスなところがあり、ラストシーンも、感じのいいニヤリとさせる場面で終わっています。一方、『さらば……』の最後はかなり印象が違います。ちょっと書いてみましょう。
『私はエレヴェーターで一階まで降り、市役所の正面の階段に立った。一点の雲もなく晴れあがり、空気が冷たく澄みきっている日だった。はるか遠くまで見とおすことができた―しかし、ヴェルマが行ったところまでは見えなかった。』
ヴェルマというのは、最後に警官を撃って自分からこの世を去るという登場人物です。かなりの悪女なのですが、この小説ではただそれだけの存在としては書いていません。同じく犯罪者として最初から登場するマロイという男を、主人公のマーロウは、特に理由もなく手助けをします。ヴェルマとマロイを書くために、その描写に説得力を持たせるために、この物語は中編から長編にするほどのページ数が必要だったのではないかと思いました。マーロウという男の行動を通して、人間というものが様々な切り口で描かれていく、それがチャンドラーの小説です。同じエピソードもあるこの二つの物語ですが、読後感はまったく別のものでした。
作文倶楽部の授業をしていて、枚数をとても気にする子がいます。ちょっとしか書けないことを恥じる必要はまったくありません。書かれた内容が大事です。もちろん、長く書くこともすばらしいです。センター北校の子が、原稿用紙10枚のとてもおもしろい物語を書いてくれたこともあります。そのとき伝えたいことにふさわしい長さがあるのです。同じ内容でも、伝え方によって、あるいは伝えたいことによって、大きく長さが変わるのです。作文倶楽部のみんなが読むにはまだちょっと早い小説ですが、そんなことをぼくに教えてくれました。
NEWS青葉台校、センター北校室長
三木 裕