ちょっとした偶然から、フランスの翻訳小説を読みました。風変わりの登場人物の、ちょっとしたおかしさが積み重なっていく物語で、楽しく読み終わったのですが、その中で2ヶ所「おや?」と思うところがありました。
ひとつめは、タンスを『観音開き』で開ける場面。
もうひとつは、主人公にとって人生は『お茶の子さいさい』という文章です。
ストーリーにとって、特に重要な場面の言葉ではありません。ひとつめなどまったく関係ないところです。ただ、フランス人のムッシューの小説なので、ちょっと、おやと思ったわけです。いかにも、日本的な表現かな……と。ただ、観音開きと書けば、すぐにどういう開き方かわかります。べつに観音開きでなくともお話としては全然変わらないですが、フランス語でそれに相当する言葉で書かれていたのでしょうか? たしかに、いちいち、真ん中から両側に開く形式のタンスの扉を……、などと説明するよりは、すうっとストーリーをすすめたいところだと思います。お茶の子さいさいも、いかにもそれっぽいフランス語が書かれていたのでしょう。本当に、そういうラストシーンでしたから!
実際はもしかすると、観音開きという言葉にこそ、なじみのない世代にいまはなっているかもしれません。ちなみにこの本は1991年に日本で出版されていました。いまの子は観音開きなんていわないでしょうか? お茶の子さいさいでなにかを片付けたりはしないかな?
言葉は時代とともに変化するというのはよくいわれることです。今日の朝日新聞の社説には『上から目線』という言葉が書かれていました。日常では、けっこうふざけて使ったりしますが、社説で使用するくらいですから、もう日常の言葉として認知されているということなのでしょうか? ちょっと違和感がありましたが……。
観音開き、お茶の子さいさい、という表現が消えていくかどうかはわかりませんが、これらの言葉を聞いて、すぐに共通のイメージできないようになるのはもったいない! という気がします。言葉については、これからも、ふだんから意識して考えていきたいと思います。
NEWS板橋校室長
三木 裕