ふとしたことから、懐かしい詩に再びめぐり合いました。最初に読んだのはもう十年前のことです。当時、『詩とメルヘン』という雑誌があり、そこに掲載されていた詩です。ぼくの好きな詩村あかねさんの詩です。
きみ かなしくは ないか 詩村あかね
かなしくはないか
つめたい おおきなまんげつ
すうねんぶりに あおぎみた
このまちの そら
ちいさな ぶらんこにすわって
ゆびを かたくくみ
さびついた おもいでのにおいに つつまれる
かなしくは ないか
こんなにも
おとなに なりすぎたこと
おとなになってまで なお
きずつきがちな こころ
いま きみは
どの よぞらのしたか
まだ もとめるなにかに
こころ とらわれているか
がむしゃらに あるいてきた みちを
もういちど ふかく ふりむくと
ぼやけているものが おおすぎて
こころが なみだつようなのだ
かなしんだって はじまらないさと
はたして きみは わらうだろうけど
きみ こんな よるはないか
きみ かなしくは ないか
たぶん、そのころもぼくは大人だったはずです。少なくとも年齢だけは。そうして、いま再びこの詩にあって、いまなお、ぼくはなにかを求めて歩いているような気がしました。さいごにわらっているきみは、十年前のぼくなのかもしれません。
『詩とメルヘン』で知り合った多くの仲間が、いまなお言葉とともにあり、3月11日以降も、みんなそれぞれの形で言葉と向かい合い、なにかを伝えようと『し続けている』ことを知り、励まされ、勇気づけられています。
大人になるとはいったいどういうことなのでしょう。様々なことに悩み、傷つく子どもたちがいて、ほんのちょっとしたことに大笑いして転げまわっている子どもたちがいます。ここが少しでも楽しい場所になりますように。ぼくはみんなを『言葉』で笑わせたいと願いつついまも歩いています。たとえ、こころがなみだったとしても。時を越えても本物の詩は同じように心を打つのだとあらためて思いました。ありがとうございました!
NEWS板橋校室長
三木 裕