新聞でおもしろい記事を見つけました。夏休みの宿題は廃止すべきではないかというものです。
『間もなく暑中休暇にもならうといふこの際、是非あんなものはやめてしまふやうに、その向きへ訓旨してもらひたいものだ。
折角与へられた暑中休暇の、幾十日かの開放の時間にまで、尚追つかけて来ての学校責めは、果して人の子を害(そこな)はぬであらうか。
実際あの宿題なるものを、後生大切に馬鹿正直に、自分の力の許(ばか)りでやつて居る小学生が、果して幾人あるだらう。』
小学生のみんなの割れんばかりの拍手が聞こえてきそうです。旧仮名遣いで書かれているところからもおわかりかと思いますが、かなり昔の新聞に投書されたものだそうです。1927年(昭和2)7月5日とのこと。でも、仮名遣いを現代のものにすれば、昨日の新聞に載っていてもおかしくないように思います。
ぼくもNEWSの夏期講習会の子どもたちに、学校の宿題からさらに追加で宿題を出している側の人間ですから、どきっとしてしまいます。この投書の方のご意見もわかりますし、過度の宿題はどうかなとも思います。
ただ、ぜんぜん宿題がないのもどうかなあ、とも思います。みんな一律でなくていいので(ぼくはいつも宿題は一人ひとりばらばらに出しています)、その子に合った、必要だと思われるものを出すのも大事かな、と思います。ぼくが小学校低学年のとき、元気に遊ぶことが宿題ですといって、ほかになにも出さなかった先生がいました。ときには、そんな宿題もいいと思います。そして、大事なことは、やってきてくれた宿題をちゃんと見ること、ですね。むしろ、そちらの方が大事な気がします。さて、今日はみんなにどんな宿題をだしましょうか?