春に
谷川俊太郎
この気もちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる
この気もちはなんだろう
枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする
この気もちはなんだろう
あの空の青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい
あしたとあさってが一度にくるといい
ぼくはもどかしい
地平線のかなたへと歩きつづけたい
そのくせこの草の上でじっとしていたい
大声でだれかを呼びたい
そのくせひとりで黙っていたい
この気もちはなんだろう
春をうたった詩です。
この気もちはなんだろう
と何度も書かれています。国語の授業であれば、ずばり、この気持ちについて考えてみよう、という問題が出そうです。二つの正反対の思いがいっしょになってあふれている、なんとももどかしい思い、それは春だから、みたいな感じで答えるのでしょうか。春を青春と考え、大人になることへの期待と不安のような解釈もあるかもしれません。
でも、そうして言葉にしてしまうと、なんだかもったいないような気がしませんか?
いや、国語の授業は授業でいいと思うのです。そうやって考えることや、友達と話すことによって、新たな思いが生まれることもあると思います。ですが、ただ読んで、それで終わり! あとはだまってじっと空を見ていよう、という詩の時間があってもいいように思いませんか? NEWSの国語の時間でやると、三木先生手抜きしてる、と子どもたちに怒られそうですが……。そういう贅沢な時間の使い方もしてみたいですね。たとえば、いまの季節のような桜もまだ咲いていない、どこまでも広がっていく青い空の下でやれたら、ものすごく気持ち良さそうです。そのまま眠ってしまいそうですが……、それもまた良しということで(ますます手抜きと思われそうですね)。いかかでしょう?
NEWS板橋校、NEWS青葉台校、NEWSセンター北校室長
三木 裕