前にもこのコラムの欄で書いたと思うのですが、ぼくの本の読み方は、一冊の本を読み終わってからまた次の本を読むというやり方ではなく、たくさんの本を同時に少しずつ読んでいくと方法です。本好きの人にはあきれられてしまうかもしれません。実際、自分でも外国のミステリーなどを同時並行で読んでいると登場人物が混ざってしまってわけがわからなくなってしまうときがあります。それでも、そういう読み方をするのは、とにかくたくさんの、いろいろな本を読みたい! ということと、時々おもしろい偶然にぶつかる楽しさがあるからです。
このあいだ、ぼくは『バーネット探偵社』という本を読んでおりました。あまり聞いたことのない探偵だと思われるかもしれませんが、探偵というのは仮の姿で、その正体はアルセーヌ・ルパンなのです。探偵として警察に協力し見事に事件を解決しながら、こっそり(時に堂々と)自分が捕まえた犯人からまた上前を盗んでいくという物語です。子ども向けの本ですがとてもおもしろかったです。
その物語にいつも最後にルパンにしてやられてしまうベシュという刑事が出てきます。ベシュはずっとやられっぱなしですが、最後の最後でルパンのおかげで出世することになりました。物語では巡査部長になります。ところが、あとがきを読んでみると、この本はこれまでにもいろいろな翻訳があり、その一つでは、もともと刑事ではなく警部、巡査部長ではなく警視になったと書かれているそうです。その訳者がなんとあの堀口大學なので驚きました。これは誤訳ではなく、おそらく、ベシュの立派な態度や、いつもルパンにやられてしまうのに同情して、ひそかに昇進させたのでは、とあとがきでは書かれてしました。
私の耳は貝のから
海の響きをなつかしむ
堀口大學といえば、まずこのジャン・コクトーの訳詩が浮かびますが、ルパンの翻訳もしていたのですね。どんな感じなのでしょうか。いつか読んでみたいです。
そして、ぼくは、そのルパンの本を読んでいるときに、べつの本で、堀口大學の評論も読んでいたので、余計に反応してしまったのでした。この評論は、堀口の詩や訳詩に、和歌や源氏物語の影響が強いということを書かれたものですが、それ以外のところで、こんな文章を見つけました。
『彼を抵抗詩人のようにあつかうことになっておかしいと思う人が多いにちがいないが、それは食わず嫌いのせいでの無理解というものだ。』
抵抗詩人! だからこそ、シャーロック・ホームズでも、メグレ警視でもなく、アルセーヌ・ルパンの翻訳をしたのでしょうか? 優秀なたたき上げの刑事をつい警部と訳してしまったのも、抵抗詩人だから? この評論に、ルパンのことは書いてありませんでしたが、そう思って、なんとなく納得したのでした。こういう偶然が、ぼくの本を読む楽しみの一つなのです。
ちなみにこの評論が書かれた本は、先日亡くなられた丸谷才一氏の本です。上の引用は現代仮名遣いに直しましたが(すみません!)、旧仮名遣いで書かれています。英国文学と和歌、詩と和歌、ゴシップやミステリーの楽しみ方など、丸谷氏の本で学んだことがたくさんあります。ご冥福をお祈りいたします。
最後に丸谷氏の本に書かれていた堀口大學の詩の一部を書いておきます。なんとなく口ずさんでみたい詩ですね。今回の先生のコラムのタイトルは、丸谷氏の評論のタイトルにしました。けれども、詩とすこし違います。なぜちがうのでしょう? こんなことを考えるのも読書の楽しみです。
魂よ、
お前は扇なのだから、
そして夏はもう過ぎたのだから、
片隅のお前の席へ戻っておいで、
邪魔になってはいけないのだから。
(堀口大學『魂よ』より)
NEWS板橋校、NEWS青葉台校、NEWSセンター北校室長
三木 裕