例年2月から3月くらいに、中学生の国語の授業でヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』を取り上げる学校が多いです。ぼくが少年(?)だった頃からありましたので、もうずいぶん長い間、教科書に載っていることになります。蝶の美しさに心うばわれた主人公の少年が、つい出来心でとなりの家の少年の持つ蝶を盗んでしまって……というお話です。ご存知の方も多いかもしれません。最後に少年は、それまで集めた蝶を全部つぶしてしまいます。あまりいい後味ではありません。となりの子は最初からものすごく意地悪ですし。ただ、ずっと教科書に載り続けるということから、この物語を通して大事な伝えるべきことがあるということなのでしょう。
毎年、中学生にこの物語を教えるとき、思い出すことがあります。ぼくは中学生でした。国語の時間でした。教科書に載っていたある作品について、国語の女性の先生がいいました。
『だいたい教科書に載ってる話ってつまらないのが多いじゃない。でも、これはおもしろかったわね』
教科書のお話がつまらない! 学校の国語の先生が堂々ということに、ぼくは、とても驚いたのでした。こんなことをいってもいいんだ!
いま授業中にこういうことをいったら、やはりまずいですかね。PTAからクレームが来るでしょうか。でも、正直に、教科書にも、おもしろい物語とつまらない物語があるといってもらうことで、ぼくのように国語が好きになる子もいるのです。たとえば、石川啄木は短歌だけ読むと、親孝行の立派な人にも見えますが、実際には遊びのために借金しまくりだったなんて説もあります。こういうことを教えるほうが、みんなもより興味を持ってくれるように思うのですがいかがでしょう? 学校ではやはり難しいでしょうか。
ヘッセの『少年の日の思い出』は、ぼくとしては、あまりに救いがなさすぎる気がしてなりません。そこがいいのかもしれませんが……。ただ、子どもたちと、あまりに救いがなさすぎるよね、という話をいっしょにすることはできます。それだけでも、ずいぶん違うかな、と自分では思うのですが……どうでしょう。ちなみに、中学校のときの先生がおもしろいといったのは山本周五郎の短編でした。ぼくも、教科書でもおもしろい作品はあるよ、ということも、みんなに教えたいと思います。
NEWS板橋校、NEWS青葉台校、NEWSセンター北校室長
三木 裕