近くの図書館で、定期的に、古い書籍、雑誌を、リサイクル本として自由に持ち帰れるということをしていて、よくのぞいています。先日、今年の6月に出た『週刊ベースボール』をもらってきました。
コロナの影響でプロ野球も開幕がずれにずれ、6月後半にようやく無観客で実施となり、そのころのことが書かれています。愛する阪神タイガースは開幕3連敗と散々な結果で書かれていますが、この号のあとも負けつづけ、一時期圧倒的に最下位となるのでした。
まあ、そんなことを思い出しつつ、読んでいたのですが、ところどころの記事に、今後のことに関して、このような言葉があることに気が付きました。
収束に向かっていったら
落ち着いてきたら
現在収束に向かっているとか、落ち着きつつあるとか書かれているわけではありません。ただ、やがて、収束に向かったときにどうなるだろう、とか、落ち着いてきたときのことも考えなければならない、といったような、いつかはよくなるだろうという考え方が感じられたのです。様々な競技やイベントが中止になり、学校や会社なども行けなくなる中で、ようやくプロ野球が開幕するという、うれしいニュースだったので、それに浮かれてばかりではいけないよ、というニュアンスがあるのかもしれません。
しかし、いまから8か月くらい前の雑誌ですが、なんだかとても昔のもののように感じられます。その頃より感染者数が増えたり、緊急事態宣言がまた発令されたりと、いつか収束するだろう、という感覚が、いまはなかなか持てない気がします。現在、プロ野球のキャンプがおこなわれていますが、無観客での実施となっております。今後、シーズンが始まりましたらどうなるでしょうか。春のセンバツ高校野球もどうなるでしょう。
本当に、いまは、歴史的な出来事のなかで生きているのだなあ、と思います。この雑誌を読んで、自分が後ろ向きになりすぎているのかも、とも思いました。収束することはもちろん願いますが、いまを生きている子どもたちのために、少しでもよい未来となるように、自分たち大人が、前を見て進んでいかなければならないとあらためて思いました。