新聞でも取り上げられ、インターネットでも話題になっているという、東京造形大学の学長、諏訪先生という方の新入生への式辞を、その大学のホームページで、全文読むことができました。その内容は、ぼくなどがかいつまんで書くよりも、ぜひそのまま読んでいただきたいと思いますが、大学に入った最初のあいさつで学長よりこのような言葉をいただいたら、きっと、とてもやる気になるだろうな、これ以上元気が出る言葉はないだろうな、と思いました。すばらしい内容です。ぜひ(ぼくがいうのもへんですが)ご覧になっていただきたいと思います。
経験という牢屋という言葉は、その式辞の中に出てきた言葉です。この大学の卒業生でもある諏訪学長は、映画監督なのだそうです。そして、経験とは、仕事の作法のようなものでしかない、といいます。そして、その後このようにおっしゃっております。
『しかし、クリエイションというのは、まだ誰も経験したことのない跳躍を必要とします。それはある種「賭け」のようなものです。失敗するかもしれない実験です。それは「探究」といってもよいでしょう。その探究が、一体何の役に立つのか分からなくても、大学においてはまだだれも知らない価値を探究する自由が与えられています。そのような飛躍は、経験では得られないのです。それは「知」インテリジェンスによって可能となることが、今は分かります。
私は、現場で働くことを止めて、大学に戻りました。』
経験するということは、どのような職業にとっても、とても大切なことです。ただし、ときに、それだけでは足りないときもあるのです。それは、自分で考えることではないか、と諏訪先生はおっしゃっているように思いました。
『一昨年に起きた東日本大震災と原発事故によって、あるいはそれ以前から、私たちの社会のこれまでのシステムや作法がもはや機能しないことが露呈しました。私たちはこれまでの社会において当然とされてきた作法を根本から見直さなくてはならない時を迎えていると言えます。現実社会は、短期的な成果を上げることに追いかけられ、激しく変化する経済活動の嵐の中で、目の前のことしか見えません。これまでの経験が通用しなくなっている今ほど、大学における自由な探究が重要な意味を持っている時はないと思います。』
NEWSで経験できること、勉強にしても、お絵かきにしても、大工にしても、実験にしても、あらゆることが、その子たちへの未来に確かにつながっていると、ぼくは自負しています。そして、NEWSで学ぶことが、たんなる経験として、将来、創造の幅をむしろ狭めてしまったりしてしまわぬよう、ぼくらは、そこになにかを付け加え続けなければなりません。諏訪先生のお言葉は、新入生への思いにあふれたすばらしいものでしたが、教育者の一人として、ただ感動しているだけではいけないとも思いました。まず、自分自身を振り返って……、経験という牢屋の入ってはいないでしょうか? じっくり考えてみたいと思います。!
NEWS板橋校、NEWS青葉台校、NEWSセンター北校室長
三木 裕