高校野球の甲子園での交流戦が終了しました。中止になってしまった春のセンバツで選ばれていた高校が、1試合ずつ試合をするというものです。関係者以外は無観客で、勝っても負けても1試合だけの試合でしたが、憧れの甲子園での試合はとてもうれしかったと思います。何試合か見ましたが、どれも熱戦で、見ごたえのある試合ばかりでした。
さて、交流戦の前に、全国のほかの高校球児を取り上げるテレビ番組がありました。交流戦とは別に、それぞれの都道府県の地区大会はおこなわれており、優勝しても甲子園での全国大会はおこなわれないのですが、それでも、優勝目指して汗を流している様子が映されます。逆に、自分たちの住んでいる島から出て試合をすることをせず、出場辞退を決めた高校の生徒たちの様子もありました。一人ひとりにとって、忘れられない夏になったのではないかと思います。
その中の一人の球児です。兵庫県の球児で、その子はレギュラーではありませんでした。しかし、三年間がんばり、最後の試合で、打席に立つことができました。ヒットは打てませんでしたが、それを見ていたお母さんは、泣いていました。お母さんも三年間いっしょに、がんばって手助けしていたのです。試合後、その球児は、お母さんにお礼をいっていました。しかし、それは、ちょっとそっけない感じでした。あとで、お母さんにメールが来ました。面と向かって話すのは照れくさいのでメールを書きます。球児からの素直な感謝のメールでした。とても感動的な場面でした。
そのあと、また球児にインタビューがありました。「お母さんのおかげです」と、そこでは素直に答えていました……。これで話を終えればいいのかとも思うのですが、ぼくは、そこで気になってしまったのです。ずっと、この球児を取り上げるときに、右上のテロップで『見てくれ!おかんへ感謝のメール』みたいな文字が書かれていたのです。でも、その球児は『おかん』なんて呼んでいなかったのです。たぶん、メールの文章の中でも……。
まあ、気にするようなことでもなく、感動的な話ではあったのですが、なぜ、わざわざ『おかん』にしてしまったのだろうか、と思いました。関西の高校生だからでしょうか? ふだんは、おかんと呼んでいるのだけれどテレビなので『お母さん』といってしまった? テレビ局も、『見てくれ! お母さん』ではダメだったのでしょうか? たしかに、『見てくれ! ママ』とか、『見てください! お母さん』では、ちょっとちがうような気がしますが……。
こういうのも日本語の豊かさなのかもしれません。おかんも、ママも、お母さんも、子どもたちにとっては、とても大切なかけがえのない存在なわけですから、自分たちが呼びたいように呼ぶのがいちばんですね。