吉野弘という詩人が亡くなられたと新聞で読みました。熱心な読者ではなかったのですが、ときどき読んでおりました。このコラムでも305回のときにその詩を取り上げさせてもらいました。とても心にうったえる詩人だと思います。教科書や、塾用のテキストなどでもよく使われています。有名な詩を2編ここに載せてご冥福を祈りたいと思います。「夕焼け」と「祝婚歌」です。
夕焼け
いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
また立って
席を
そのとしよりにゆずった。
とりよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
ニ度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
体をこわばらせて。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあわずとして受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。
祝婚歌
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと
気付いているほうがいい
完璧をめざなないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風にふかれながら
生きているなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
まだ若く瑞々しい魂が、すぐれた詩人の感性を心の深いところで受け止めてくれるような、そんな授業をしたいと、吉野弘の作品がテキストなどに出るたびに思っていました。詩の解釈を教えたり、比喩や表現を教えることも大事ですが、まずはまっすぐにそのまま読んでほしいと思います。いつか大人になったとき、ああ、この詩を昔読んだことがあるな、とそう思ってくれたらいいな、と思います。
NEWS板橋校、NEWS青葉台校、NEWSセンター北校室長
三木 裕