今年、メジャーリーグのイチロー選手の引退という大きな出来事がありました。選手としての偉大さはもういうまでもありません。いまは草野球を楽しんでいるというほほえましいニュースも入っていますが、今後もさまざまな分野で活躍をしてほしいと思います。
さて野球のシーズンオフのさみしさを癒すために野球の雑誌をたくさん図書館で借りてきました。その中にイチローの引退直後のロングインタビューが載っておりました。くわしく読んでみたところ、いろいろと興味深い記事が載っておりました。たとえば、以下の部分です。
『たとえば将棋や囲碁の棋士は、「負けました」と頭を下げるじゃないですか。あの所作って、勝負の世界においては尋常じゃない屈辱だと思うんです。戦った相手に頭を下げて、しかも負けましたというのですから……でも、その屈辱が次へのエネルギーになるんだろうと思うんです。』
NEWSが『将棋算国教室』コースを立ち上げたとき、まさにそのことを知ってほしいと思いました。負けるという体験は、もちろんうれしいものではありません。けれども、負けを認めるというところから、多くのものを得ることができると思うのです。
『野球では「負けました」とはなかなか言えない。だから僕にとって棋士の姿は響くものがあります。いつか自分も「負けました」と言えるようになりたいと思っていましたが、なかなかそうはなれなくて』
あのイチローがいうことばだからこその重みを感じます。前にもイチローは、4000本のヒットを打ったことよりも、そのあいだに8000回の悔しい思いをしてきたし、その事実に向き合ってきた自分を誇りに思う、ということをいっていました。常に勝ち負けがはっきりしている世界で戦う棋士たちへのリスペクトに、イチローのすごさも感じてしまいます。イチローは、最後、なかなか打てずに引退となりました。そのときのことをこう語っています。
『2012年の最後、200(安打)に届かなかったときは「負けた」という感触でした。今回も然りです。それでも負けを認めることが難しい野球で、将来、そういう自分でありたいというのはひとつの目標だったので、今回、「負けた」と言えたのはよかったなという想いもあります。』
イチローのことばの重みは、彼の選手生活の重みと重なるのでしょう。あれほどの成績を残したスーパースターでも、引退するときに、『負け』ということばがうかぶのですね。それとも、それほどのスーパースターだからこそ、なのでしょうか。ひとつひとつのことばが、しん、としずかな気持ちで心に入ってきます。
あれほどの選手はもう出てこないのではないかと思ってしまいますが、いつか、イチローを思い出させるようなすばらしい選手の出現も、野球ファンとしては期待してしまいます。もちろん、その前に、イチロー監督も見たいですし、野球解説も聞いてみたいです。どんなことばで野球やそのときのプレーを語るでしょうか。とてもわくわくしてしまいます。いつか、ほんとうにそうなってほしいと思いました。