先週、テレビで吉田拓郎、小田和正というビッグネームの対談番組を見ました。再放送でしたが前回見ることができず残念に思っていたので、今回しっかり堪能いたしました。ところどころに流れる小田さんの歌を聞いて、元気をもらいました。お二人ともあと何年かで古希になられるとか! とてもそんな風には見えませんでした。「そろそろバットの置き方を考える」なんて小田さんはおっしゃっていましたが、まだまだ置かないでください!! いまでも最高のミュージシャンのひとりなのですから。
小田さんの番組を見ながら(本当は拓郎さんがホストでゲストが小田さんなのですが、つい主観では……。でもぼくは拓郎さんの歌もけっこう好きです)、同じく先週読んだふたつの本のことを思い浮かべていました。
一冊目は蜷川幸雄『演劇ほど面白いものはない 非日常の世界へ』という本です。演出家蜷川幸雄氏へのインタビューをまとめたもので、演劇の世界にはまったくうといのですが、ふと興味を感じまして読んでみました。蜷川氏は子どものころから羞恥心の強い性格で、それは大人になってもかわらない、というようなところを読むと、なんとなくもっと怖そうなイメージだったので、意外に思いました。
「そういう羞恥心を乗り越えるには、自分が創る芝居や演出が、エリート臭くない、普通の庶民生活者、身近な自分の父や母のような目線でいつもいたい。また俳優に対してもそういう目線で、豊かで楽しい舞台を創れるようにしたいと、心がけています。」
どきっとする発言でした。ぼくらのようなあまり大きくない塾の先生と呼ばれる立場でも、やはり『先生』ですから、自然と、子どもたちに対して、上からの視点となります。いつのまにか、その指導に『傲慢さ』はないでしょうか? 先生という立場に誇りや自負を持つことと同時に、『おこがましさ』や『恥ずかしさ』を忘れてはいけないとあらためて思いました。
それで小田さんの歌を聞きながら思い出したのは、本の最後のほうに書かれていた次のような言葉です。インタビューアーの方に「失礼ながら、枯れて着地しようとかいうお気持ちはないんですか?」と聞かれたときの答えです。
なんとかっこいいのでしょうか。蜷川幸雄氏は1935年の生まれだそうです。まだまだ現役ばりばりでエネルギッシュに活動をされています。いまなおコンサートでステージを疾走する小田さんもすごいですし(コンサートのためにジムで鍛えたりランニングをしている場面が番組で紹介されていました)、過剰でありたいという蜷川氏もすごいです。いまの仕事に常に全力投球をし、聞いてくれる人、見に来てくれる人のために、少しでもよいものを創ろうとする執念など、それぞれ違う分野での巨人たちですが、こういった人たちを見ると、まだまだ自分も走らないといけないと思います。
そして、もう1冊、マンガ『GIANT KILLING』30巻についても書きたかったのですが、長くなりましたので続きは次回にしたいと思います。
NEWS板橋校室長
三木 裕