朝の連続テレビ小説『あまちゃん』などですばらしい存在感を発揮しております女優の渡辺えりさんのエッセイを読みました(本を書かれたときの名前は渡辺えり子でした)。そこにあった渡辺えりさんの小学校のときの先生のエピソードがとてもすばらしかったので、ご紹介したいと思います。はじめに先生のことについて書かれています。
先生は明るくて表情豊かで当時私たちが抱いていた先生像にはないタイプの、ひょうきんで愉快なガキ大将といった感じの先生だった。良いものは良いと言い、嫌なものは嫌と言う、そして、自分の間違いは素直に児童の前であやまるといった、本音のみで指導しようという、多分、めずらしい部類の先生だった。
いま、こういう先生はいらっしゃるでしょうか? あまりガキ大将すぎると教育委員会に注意されるかもしれません。エッセイはこのあと、以下のようにつづきます。
先生は児童の中の隠れた才能を発見する、愛情あふれるカンのようなものを持っていた。
ここを読んだだけでもうなんとなく胸が熱くなります。そのあと、先生の奮闘ぶりがつづき、ある日の国語の授業の話となります。長くなりますが、ぜひ読んでみてください。
先生は静かに手を広げると、私たちにこう言った。
「ここに一本のローソクがあります」
私はその見えないローソクの炎を胸に描きながら、微笑む先生の顔をみつめていた。
「赤ですか青ですかそれとも黄色ですか………そうです。そのどれもが正解なのです。一本のローソクの炎を、赤と感じても青と感じても、間違いではないのです。赤い炎に見えた人は、明るい希望に満ちた人間の心を連想するかもしれません。青い炎に見えた人は、逆に、かげろうのようにはかない、消えゆく生命を思ったかもしれません。そして、炎だけでなく、それが消えてしまった後の、くすぶった黒いシンを思い、別な悲しさを想像したかもしれません。それでいいのです。作文とはこうしたものです。心で思ったこと、見えたことを素直に書けばいいのです。そして作文には間違いということがないのです。算数のようにバッテンがないのです。さあ、自由に文章を書いてください」
先生は話を終えて、広げた手のひらを閉じ、また私たちに笑いかけたのだった。
「ここに一本のローソクがあります」
私はその見えないローソクの炎を胸に描きながら、微笑む先生の顔をみつめていた。
「赤ですか青ですかそれとも黄色ですか………そうです。そのどれもが正解なのです。一本のローソクの炎を、赤と感じても青と感じても、間違いではないのです。赤い炎に見えた人は、明るい希望に満ちた人間の心を連想するかもしれません。青い炎に見えた人は、逆に、かげろうのようにはかない、消えゆく生命を思ったかもしれません。そして、炎だけでなく、それが消えてしまった後の、くすぶった黒いシンを思い、別な悲しさを想像したかもしれません。それでいいのです。作文とはこうしたものです。心で思ったこと、見えたことを素直に書けばいいのです。そして作文には間違いということがないのです。算数のようにバッテンがないのです。さあ、自由に文章を書いてください」
先生は話を終えて、広げた手のひらを閉じ、また私たちに笑いかけたのだった。
子どもたちの心にローソクの炎をともしたすばらしい先生がここにいます。こんな作文の授業ができたら、と自分をふりかえり、まだまだその未熟さに恥じ入るばかりです。最後に渡辺えりさんはこうしめくくっています。
間違いということのない、すべてが正解のもの。私はそんなものが世の中にあることがひどく嬉しかった。
ローソクの炎にたとえた先生の美しい言葉は、いつも私の胸の中で燃え続け、そして実際にはないものを、その手のひらに見せた先生のやり方は、私の零からすべてを造る舞台の夢へと展開していった気がするのである。
ローソクの炎にたとえた先生の美しい言葉は、いつも私の胸の中で燃え続け、そして実際にはないものを、その手のひらに見せた先生のやり方は、私の零からすべてを造る舞台の夢へと展開していった気がするのである。
子どもたちの夢を造るすばらしい先生が、すばらしい個性派の女優を生んだようです。ここにも、ほんとうに美しいものがありました。NEWSの子たちの心に炎をともすことができますように、また心をこめて授業をしていきたいと思います。
NEWS板橋校室長
三木 裕