NEWS板橋校の校舎の近くに自動販売機があり、そこに、コーヒーの広告がついていました。こう書いてあります。
『缶コーヒーの人はいい人だ。(カンですけど……)』
これは、缶コーヒーを買って飲む人はいい人だという意味なのでしょうか? ぼくは、缶コーヒーの中の人(?)のような人がいて、その人はいい人なんです、という意味かと思ったのですが。おかしいですかね?
なんとなくですが、缶コーヒーというのは、いい人そうではないですか? いつも身近にいて、あまり高くなく、ささやかなよろこびをくれるといったような……。まあ、あまり深く考えていたわけではないのですが、そんな風に自動販売機を見ていました。
しかし、毎日のように通りすがりに見ているうちに、ちがう意味かもしれない、と気がつきました。缶コーヒーはいい人だと思った人が、(これは、自分の勘なのですが……)といっているようにも見えるな、と思ったのです。缶コーヒーがいい人かどうかはっきりとした根拠はないのですが、いい人のように思えるのです……というような。
カンを缶と考えると、人ではなくて申し訳ないですが、というちょっと奥ゆかしい感じの缶のセリフになります。カンを勘といっている場合は、缶を評価している人の、根拠がなくて申し訳ないのですが、というこれまた奥ゆかしい感じのセリフになります。どちらもいい人そうですね。カタカナでカンと書いてあるのは、そういうどちらともとれるおもしろさを狙ったのでしょうか?
本当はなにか正解があるのかもしれませんが、個人的にはおもしろかったので、この宙ぶらりんのままを楽しんでいます。これも日本語の魅力なのではないでしょうか。
八木重吉に、『水や草は いい方方である』という詩があります。
はつ夏の
さむいひかげに田圃がある
そのまわりに
ちさい ながれがある
草が 水のそばにはえてる
みいんな いいかたがたばかりだ
わたしみたいなものは
顔がなくなるようなきがした
よく周りを見ると、いい方方は、缶コーヒーだけではなく、いろいろなところにいるのかもしれませんね。どんどん見つけていきましょう!