葬儀に参加するための費用が入った財布を落として、途方にくれていた高校生に声を掛け、名前も告げず6万円を貸した男性の話が話題になりました。男性は、友人に騙されたのではと心配されたそうですが、自分を探してくれていることを知り、信じてよかったと喜んだそうです。そのニュースを見て、人間の善意に、ぼくもうれしく思いました。ちなみに、高校生が落とした財布も、現金がそのまま入った状態で駅に届いたそうです。見事なハッピーエンドになりました。
途方にくれた高校生を見かけても、自分は声を掛けるだろうか、とまず思いました。正直、できない気がします。あと、貸したくても6万円なんて持ってないな、というのは、まあ、置いておいて、名前も名乗らず、その高校生を急いで行かせる行動もすごいですね。本当に、その高校生が困っていることがわかったのでしょう。その高校生は無事お金を返したあと、自分も、困っている人を助けられる人間になりたい、といっていたそうです。
こういった善意の輪が大きくなると、どんなにかよい世界になるだろうと思います。池波正太郎の本に、チップの話が書いてあったことを思い出しました。タクシーに乗ったときや、どこかで食事をしたときなど、必ず、小額ですがチップを渡している、という話です。特別に親切にされたというときだけではなく、ごく当たり前の対応をしてくれたときは渡すということでした。もちろん、失礼な対応のときは渡さないですが、そうでないときは、必ず渡すようにしていたとのこと。自分だけではなく、自分の前の世代の大人は、みなそうしていたので、自分もそうしている、そうすることによって、やはり、もらうほうはうれしいし、仕事にもやりがいが出てくる。みんながみんな、そういうことをしていれば、どんどん世の中もよくなっていくのでは、というお話でした。随筆は、いまは、そういうことが難しい世の中になってしまったけれど……とつづくのですが。
その本を引っ張り出してきましたので、一部抜粋いたします。
『みんながこういうふうにしていけばだね、世の中にもたらすものは積みかさなって大変なものになるわけだよ。どんどん循環してひろがっていくんだからね。
ということは、根本は何かというと、てめえだけの考えで生きていたんじゃ駄目だということです。』
なんとも歯切れのいい、鬼の長谷川平蔵のせりふのようなかっこよさです。池波先生の書いた本のときからも、ずいぶん過ぎました。世の中はよくなっているのでしょうか。しかし、今回のような人もいるのです。少しずつ、自分も何かしていかなくてはと思いました。