あまりにも有名な芭蕉の句ですが、これに関して、おもしろい文章を見つけましたので、ご紹介したいと思います。もともとは五十嵐力という文学教授の本にあるものだそうですが、それを坂口安吾がユーモラスに紹介しているもので、ぼくは読みました。いきなりですが、まず読んでみてください。
俳句に下の句をたして、むりやり(?)和歌にしてしまったものです。一つの感情、一つの季節が付け加えられ、とてもわかりやすくなりました。が、安吾は書きます。
読んでいて思わずどきりとしてしまいます。ぼくの作文の授業は、子どもたちの傑作に、愚かで無意味な下の句を足していることはないでしょうか? たとえば、「~じゃなくて」を「~ではなくて」と、オレンジのペンで直したりしますが、本当にそれでいいのでしょうか?
学校の作文、あるいは、入試の国語の記述問題では当然、減点の対象になりますから、直すのは正しいのでしょう。でも、その一方で、なんとなくつまらない作文になってしまうことも……。もちろん、ぼくとしては、言葉遣いだけではなく、その内容や、表現の仕方、視点などで、おもしろい作文を書いてほしいと思って指導しています。ですが……、一つひとつの言葉をどこまで直すべきなのだろうと悩むことも、また事実なのであります。国語の正解と作文の正解については、これまでも何回かコラムに書きましたが、いつまでも悩み続けることになりそうです。たぶん、それがNEWSのいいところに直接つながっているではないかと思うのですが……。そして、ぼくは、あえて「~じゃなくて」を残すときもあります。あまりないですが、そのほうが伝わると信じるときはやはり直せません。
と、このようなことを考えていた何日かあと、今度は、ある漫画を読んでいましたら、またしても芭蕉の古池や~の俳句が出てきました。ここにも一つの解釈が出てきます。
こういう考え方もありますよ、ということで漫画には描かれており、十七文字一句に、詠み手は可能な限り言いたいことを託して、読み手はそれを体感し、想像するんです、俳句はコミュニケーションなんです、と結ばれています。いまから300年以上前の十七文字をこうしていま読んでいるわけですから、言葉の持つコミュニケーション力のすごさがわかります。いったい、何が心を騒がせたのでしょうか? みんなに聞いてみたい気がします。
ほかの本ですが、実際には蛙がものすごくたくさんいて、どぼどぼ池に飛び込んだという説や、じつはにぎやかな鳴き声をうたったのだという説も有力だというのも読んだことがあります。解釈によってずいぶん印象が変わりますが、それも俳句の魅力の一つなのでしょう。一つの俳句(に限らずすべてのものごと)から引き出される、あらゆる『おもしろいこと』をぜんぶNEWSでやりたい!といつも思います。
そうなのです。ぜんぶ、というのが、ぼくの中のNEWSのキーワードなのです。このあいだのリトル・アーティスト展がまさにその最たる例なのですが、ぜんぶやりたいのですね。子どもたちみんなが好きなこと、夢がかなうこと、将来につながること、あらゆる可能性につながること、ぜんぶやりたいのです。NEWSでしかできないんじゃないかなと思っています。リトル・アーティスト展のたくさんの作品、ご協力いただいた先生方、本当に『ぜんぶ』すごかったです。
2月には2回ワクワク体験DAYが行われます。ミニ体験などを行います。ぜひ校舎までおいでください。そのとき、NEWSのほかのコースのこともぜひご説明させてください。先生方のすばらしさ、通っている子どもたちの楽しそうな様子と傑作の数々、なんでもお話したいと思います。NEWSのぜんぶを知っていただきたいと思います。多くのみなさまにお会いできますことを願っております。お待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。
NEWS板橋校室長
三木 裕