最近、『人望』についての本を読みました。戦国武将や明治以降の人物を中心に、その人に人望があったか、なかったかを検証し、人望とはどういうものだろうかということが書かれている本でした。人望と似た言葉に『人気』と『カリスマ』があると書かれていて、その違いなども書かれておりました。人望のある人、人気のある人、カリスマのある人、この中のどれになりたいと思いますか?
戦国時代は、生きるか死ぬかの時代ですから、戦のうまい人、強い人が、人望を集めます。戦の強さが人気につながり、圧倒的な強さはカリスマにつながります。逆に敗れれば、カリスマではなくなり、一気に人気がなくなります。しかし、戦に破れても人望がまだある人も、少ないですがいます。人望には、実力以外にもなにか要素があるようです。
現代に置き換えてみるとどうでしょうか。カリスマ塾講師なんて人もたまにテレビで見かけます。人気者はたくさんいますね。ですが、ずうっと人気者でいるのは難しいようです。人望のある人は身近にいらっしゃいますか? どういう人でしょうか? 自分には人望があります、なんて、本当に人望のある人はいわないように思います。自分からいわなくても、人望のある人というのは、だいたいみなにそう思われているのではないでしょうか。一部の人にだけ人望があるという人は、どちらかというとカリスマというべきで、人望がある人とはいえないように思います。
人望を得ることは簡単ではありませんが、人望を失うようにすることは簡単です。本にも書かれておりましたし、さまざなま方法が、すぐに頭に浮かびます。簡単にいうと、不誠実ということでしょうか。下克上の戦国時代ですら、人望のなかった戦国武将が何人もいるようです。人望のない戦国武将は、やはり滅びてしまうようです。
人望を得るには、他人への思いやりが必要だと思います。非情の戦国時代や、戦争中でさえ、思いやりの心や、誠実さという点で一本筋の通った考え方をする武将や軍人がいました。彼らには、人気や、カリスマという言葉では表現できない人望があったようです。現代でも通じる考え方のように思います。いやむしろいまのほうが必要なことかもしれません。人気のある先生、時にはカリスマ教師なんて、なってみたい気もしますが、それよりも子どもたちに誠実に接する人望のある先生になりたいですね。人望を強制したり、強要したりなんてできるわけありませんから、その分、怖いことでもありますし、数値で測れるものでもないので、自分に人望があるかなどわかるわけもないのですが、せめて、人気とカリスマと人望はちがうのだということは覚えておきたいと思います。たぶん、子どもたちほど、うそに気がつく名人はいません。ですので、正直であることがなによりも大事なのだと思います。みんなに誠実であるよう、一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。
NEWS板橋校室長
三木 裕