新聞にこんな内容の記事が載っていました。お孫さんが通っている小学校でもらった通知表の評価についてです。そのお孫さんは病気のため手足が不自由らしいのですが、何度も休んだりしながらもあきらめず、がんばって跳び箱に挑戦したのだそうです。すると、学校の先生が、そのがんばりを評価してくれて体育にAを付けてくれました。そうして、通知表を見て、先生のコメントに感動したおばあさまの感謝の気持ちがつづられた記事でした。
おばあさまもそうですが、まずそのがんばった子はとてもうれしかったでしょう。跳び箱をできたか、できないかだけで見れば、評価はCになっていたはずで、これまでもずっとCだったそうです。しかし、がんばった姿勢はAだったのです。それで通知表もAになりました。絶対評価(だと思うのですが)とはいえ、学校の先生もよくぞつけました! と思います。自分にできるでしょうか? 少なくともかなり迷うとは思います。
テストの点数というのは非常にわかりやすい評価です。入試や検定などは、そのときのテストで何点を取れたかだけを基準にしてしまうもので、それまでのがんばりや、その日の体調や環境、適当に書いたものが当たっていた、信じられないようなポカをしてしまった、などなど、運不運も含め、点数以外のことは評価されません。そうしないと逆に公平でなくなってしまうからです。けれども、それだけでは評価できないものがあることも、やはりあるのですね。唐突ですが、オリンピックの代表を選ぶときにも、毎回議論になりますね。選考会の日のタイム1回だけで決めてしまう競技、何回かのタイムで総合的に(?)判断する、実績や海外での結果を加味するなどなど、競技や国によってかなりちがいます。どの方法がベストかはだれにもわかりません。評価をする側の見識や態度も問われることになります。
2020年に大学入試改革が行われます。まだ不明な部分も多く、不安に思っている子もいると思います。いくらがんばっても、テストの点数に『絶対に』つながるとはいえません。しかし、がんばっている姿勢は、だれかが見ていてくれます。『絶対に』と書こうか、いま迷ったのですが、あえて、書きましょう。『絶対に』だれかが見ています。それをきちんと評価できる人間にぼくも教える立場のひとりとしてならないといけないと思います。NEWSはがんばっているきみたちをいつも見ています。絶対に見ています。これからもいっしょにがんばろう!
NEWS板橋校室長
三木 裕