このあいだ作文の授業のときに、小2の男の子が「あかずきん」と書いていたので、赤は習ったよね、漢字で書こう、といいました。すると、その男の子が、赤ずきんの「ずきん」の漢字も教えてというので、漢字で「赤頭巾」と書きました。
自分で書いてみて思ったのですが、『赤ずきん』と『赤頭巾』とでは、まったくイメージがちがうと思いませんか? 赤ずきんちゃんはかわいい童話の女の子ですが、赤頭巾だと、なんだか時代劇に出てくる人のような……。赤ずきん一家というと、やさしいおばあさんも含まれますが、赤頭巾一家というと、なんだか盗人一味みたいな気がします。
「ひらがなよ、おばあさま、どうしてそんなことを聞くの?」
「それは、おまえが赤頭巾だと食べたくなくなるからさ!」
頭という字は2年生で習いますから、2年生以上の子は『赤頭きん』とは書けるはずなのですが、ますます赤ずきんちゃんから離れていくように感じます。ぱっと見て大人も「あかずきん」とは読めないですよね。
たとえば他の人物で考えてみますと、「桃太郎」「ももたろう」はどちらもぜんぜん違和感がないのに、太をならったからといって、「もも太ろう」とか「桃太ろう」と書くと、へんな感じがします。「うら島太ろう」「金太ろう」「三年ね太ろう」など、どれもちょっと違和感を感じます。この違和感というのはいったいなんなのでしょう? 「天狗」「天ぐ」「てんぐ」と書くと、「天ぐ」がいちばんおかしく見えませんか? 天ぷらの具みたいな……。
作文の先生、国語の先生としては、漢字はなるべく書いてくださいという指導をしないといけません。実際、書き続けないと忘れてしまいますから、ふだんから書くように習慣づけることは大事だと思います。けれども、あえて漢字を使わないほうがいいというのは、あくまでも感覚の問題ですから、どういうときによくて、どういうときはへんだ、と説明するのが難しいです。人によっては、「あかずきん」よりも「赤頭巾」や「赤頭きん」(!)のほうが、物語にしっくりくるという意見もあるかもしれませんので……。
長々と書いてきましたが、ぼくの意見としましては、漢字やひらがな(カタカナ)に対しての自分だけの感覚を、子どもたちにも持ってほしいな、と思うのです。自分の好きな言葉、どうも好きになれない言葉を持つことが、国語の力につながると思います。いくら習っているからといって「赤頭きん」とは書きたくない「赤ずきん」にする、とはっきりという子がいたら、ぼくは少なくとも作文の時間では丸にしてしまうと思います。そんなこだわりを言葉に対してもってほしいなと思います。
NEWS板橋校室長
三木 裕