人工知能(AI)の発展はすさまじいものがあります。えっ、こんなところにも、といいう分野にも進出していておどろきます。NHKのニュースのアナウンスもすでにAIが活用されているそうです。
そして、こんな分野でも! とおどろいたのが、ワインや日本酒、マグロなどの目利きの世界でもAIが活用できないかと研究されているのだそうです。長い間の経験や技などの裏打ちされたこれらの技術が、本当にAIに取って代わられたりするのでしょうか?
もともと、これらの分野でAIを活用しようとなったのは、継承者不足にあるようです。職人を目指す人や、家業を継ぐ人が減っていき、これまで培われたすばらしい技術が、このままでは無くなってしまう、そういう危機感からはじまったようなのです。
実際にどの程度までできるのかはまだわかりませんが、成分や匂いなどを分析し、すべてを数値化することによって、再現性を高め、味などを再生していくのだそうです。いつか魚の競り市にコンピューターを持っていく時代が来るのかもしれません。
教育の分野では、もうすでにAIが大きく活用されています。ぼくらのような塾の仕事は将来、人間の先生はいなくなってしまうのでしょうか?
ぼくは、ぜったいになくならない、と思っています。数値化ということではAIを大いに活用すべきでしょう。国語の問題もどんどん分析し、まちがえやすい問題の傾向など一瞬でわかってしまいます。そして、その子にあった問題もすぐに無限に出てくるでしょう。けれども、ぼくらのような個別の塾の先生は、それだけではつとまりません。一人ひとりの表情、しぐさ、文字、声、昨日とのちがい、すべてを見なくてはなりません。同じ問題をまちがえたとしても、『苦手』とはちがう理由があるときもあるのです。早く解き終わりたくてちゃんと読んでいないときと、家でお母さんに怒られて落ち込んでいるときのまちがいは、対処法がちがいます。ぼくらの仕事は、そこを見極めることでもあるのです。
ぼくらのような塾でもあり、習い事のお教室でもある場所は、そういった子どもたちとの距離感がとても大切だと思っています。ぼくらだからできること、それをこれからも追いかけていきたいと思います。