- 1951年に書かれたSF小説を読み終わったあと、ふと、平行して読みかけていた本をもう一度見てみました。なんという偶然でしょう。その本は旅行記なのですが、ちょうど1951年に日本を出発して世界を回るという話だったのです。サンフランシスコから南米をまわり、ヨーロッパへ行きます。
- 作者は三島由紀夫です。作家三島由紀夫は1951年から翌年、朝鮮戦争で緊張感が高まっていたとされる当時の世界をどのように見ていたのでしょうか。
- ところが、こちらの本には、(いまのところですが)、ほとんど戦争の影らしきものが出てきません。ところどころ、ほんの少しだけ、アメリカでの社会主義者について書かれたり(ごく少数派だそうですが増えてきていると書かれていました)、アメリカ各地でマッカーサーについてどう思うかといった質問を受けるといったこと(答えは書いてありませんでした)が書かれているのみです。
- それよりもはるかに多くのページが割かれているのは、たとえばアメリカでは大劇場でみたオペラやミュージカルや、ハレムの酒場で聞いた黒人の歌などの感想、そして日本文化との違いです。南米ではリオのカーニバルを見ますが、その祝祭が終わった後の日常への描写が関心をもって書かれています。ヨーロッパで見たサーカスでは、精神と肉体の平衡について深く思索しています。興味の対象がいかにも三島由紀夫という感じがします。
- これもまた真実の姿なのでしょう。緊張した、緊迫した時代でもありました。しかし、日常では多くの人たちが、同じような暮らしをつづけているのです。三島由紀夫が見つづけていたのもあくまでそこに生きている人間の姿なのでした。50年前も、いまも、おそらく50年後にも、人間は生きつづけているのでしょう。本当に50年後もだいじょうぶでしょうか? その答えと責任を、ぼくらが持ち続けていかなければいけないと思いました。
NEWS青葉台校室長
三木 裕