少し前の話になりますが、ゴールデンウイーク中に、図書館でたくさん本を借りて読みました。といっても、高尚な文学作品は非常に少なく、限りなく趣味に近い本ばかりでしたが……。
その中で、ちょっとおもしろいところがありましたので書いてみます。ロバート・B・パーカーという作者のハードボイルド小説の中の文章です。パーカーといってもご存知でない方もいらっしゃると思いますが、いまでも次々と精力的に作品を発表しているとても人気のある作家さんです。主人公のスペンサーはタフガイの私立探偵ですが、暴力的な描写よりも恋人のスーザンという精神科医との知的な会話の方がはるかに詳しく書き込まれているという、いかにも現代風の物語です。
今回読み終わった作品の最後に、見事に事件を解決したスペンサーが恋人と二人で、ボストンにある『サントリー・レストラン』でお寿司を食べる場面があります(こういった場面があるというのも、現代風ですね)。スーザンは見事に箸を使いこなしているようです。しかし、スペンサーは生の魚は苦手なようで、他のものを注文したらしく、以下のように書かれていました。
『彼女が酒をほんの少し飲んだ。盃を持ち上げた。ウエイトレスが来て私たちの皿をさげ、エビのてんぷらとごはんを運んできた。私にビールをもう一本持ってきた。』
スペンサーはてんぷらとご飯を食べるようです。とてもおいしそうですが……。
ここでおもしろいと思ったのは、なんといっても『ごはん』という言葉です。今度の連続殺人事件も颯爽と解決し、その前にマッチョな5人組が事務所に武器をもって殴りこんできてもあっさりとたたき出してしまったスペンサーが、ごはんを食べるなんて! このシリーズの読者でないとニュアンスが伝わりにくいと思いますが、例えば、「宮本武蔵がごはんを食べた。」のような感じでしょうか。
もちろん原文は読んでいませんので、riceと書かれていたのかわかりませんが、日本語の難しさを感じました。この本は「私」の一人称で書かれています。ですから、例えば「私はてんぷらとごはんを食べた。」という文があってもおかしくないわけですが、かなりスペンサーとは違う印象になります。「私はスシを食べた。」「私はてんぷらとライスを食べた。」の方がしっくりくるような気がします。きっと、翻訳者の方もかなりご苦労されたのだと思います。全体的にそうおかしくならないように訳されているようです。
もし作文の時間に「ぼくはめしを食った。」と書いている子がいたら、真っ先に直します。けれども、「宮本武蔵はめしを食った。」という文は、ごはんを食べるという文よりも、断然武蔵に合っているように思います。外国の翻訳作品でも、同じ主人公なのに「私」と訳されているものと「俺」で訳されているものでは、ずいぶん印象が変わります(実際にこういう本ありますね)。細かいところかもしれませんが、作文を書くときはこういうところも楽しんでほしいです。正しい文章を機械のように覚えるのではなく、生きている文章として感じながら書いてほしいと思います。
NEWS青葉台校、センター北校室長
三木 裕