少し前の国語のテキストを見ておりましたところ、おもしろい問題を見つけました。中学受験用の小4テキストと、高校受験用の中3のテキストに、同じ小説が使用されていたのです。
それは、井上靖の『しろばんば』で、場面も同じでした。主人公の洪作という男の子が、祖母にいわれて近所のえらい人のところへ朝顔を届ける場面です。朝顔は見事に咲いたのですが、祖母は見てくれなどにまったくこだわらない人で、朝顔を壊れた柄杓に植えているのを洪作は恥ずかしく思っています。朝顔を受け取ったのは、えらい人の娘あき子で、美しい少女であるあき子が「まあ、きれい」というのを、真っ赤な顔で聞いている洪作の姿が描かれています。
同じ出版社のテキストなので、権利の関係などで同じ場面を使用したのかもしれません。小4の方は、多少やさしくいいかえたり、漢字をひらがなにしたりしています。しかし、場面は同じでも問題の内容は、まったくちがっていました。記述問題は小4の問題の方にしかなく、それも50字以内で書くという文字数の多いものが2問あり、全体的に、じつは小4の問題の方がむずかしいのでは? と思いました。
漢字や文法問題などのように、その学年で習うものがはっきりしている単元は、何年生の問題かわかりやすいですが、読解問題や記述問題には、厳密には分けられないむずかしさがあります。たとえば、ぜんぶひらがなで書かれた詩を使っていても大学入試の問題は作れるからです。いま教科書で習っている問題は解けても、まったく知らない文章でも同じように解けるのか、そこが大事なところで、それをできるようにするのが指導する側の力量といえるかもしれません。同じ『しろばんば』を使っている問題でも、それぞれの生徒に合わせた問題を解いてもらわなければ真の実力はつきません。テキストに書かれた学年だけで判断しては(特に国語の場合は)いけないのだと思います。
ふだんからそのように思い、そういった指導をしているつもりですが、そのいい例に出会えたような気がして、うれしくなりました。このあとの洪作の恋の行方も気になりますが……(昔、読んだと思うのですが、ぜんぜん覚えていません)。