先日、高校生の現代文の授業で使用したテキストに、遠藤周作の『深い河』が取り上げられていました。一部分だけでしたが、そこのところがとてもおもしろく、つづきが気になりました。しかし、もちろん、テキストは抜粋しか載っていませんから、このあとどうなったかはわかりません。
なんとなく気にかかり、翌日、本屋さんに行きました。駅ビルの三、四階を占める大きな本屋です。有名な作品ですから、かんたんに見つかるかなと思い、文庫本のところなどをざあっと見てみましたが、見つかりません。そこで、検索機で調べてみました。すると、作者の深い河創作日記や、評論家の本、深い河の英語版など、関連本は十冊以上あったのですが、かんじんの『深い河』の小説だけがなかったのでした。
図書館には(調べました)ありますし、もしかすると、大型古書店のほうが見つかるかもしれません。しかし、こんなに大きな本屋でも、ちょっと前の小説などは置かれなくなってしまうのだなあ、という感慨はありました。みんなほしい本はインターネットで買うのでしょうか。
そして、そのあと、ぼくもインターネットで『深い河』をしらべてみました。すると、あらすじも、けっこうくわしく載っているのですね。ぼくが気になっていたところもちゃんと書いてあり、胸のつかえがおりました。でも、こうやってかんたんにわかっちゃっていいのかな、とも思いました。これでは、だれも小説をじっくり読まなくなってしまうのでは? 自分も利用しておきながらなんですが……。
便利な時代ではもちろんあるのですが、不便だからこそのおもしろさもあるのかなあ、と古い人間は思うのでした。でも、『深い河』は今度図書館で借りてみようかと思います。