テレビでチャップリンの映画をやっていました。『ライムライト』です。そこに、こんなセリフがありました。
「わたしは雑草だ。刈られても、また生える。」
昔は大スターだったのに、いまではすっかり受けなくなってしまった老コメディアンの言葉です。舞台でも精彩を欠き、ネームバリューはあるものの逆にそれしかない、といった扱いを受けます。あえて名乗らず立った舞台ではダメだしを受けてしまいます。
チャップリンが老コメディアンを演じるのですが、どういった心境で演じたのでしょうか。自分自身の悲しさや切なさ、不安を表現する、このままでは終わらないという意地、それとも、自分の事は全く関係なく一本の映画として演じたのでしょうか。映画についてそれほど詳しいわけではないのですが、『ライムライト』以降のチャップリンの映画には残念ながら代表作と呼ばれる作品はその後作られていないようです。
けれども、映画というもののすばらしさは、こうして時代を超えて残ることですね。チャップリンと同じく往年の大スターコメディアンだったバスター・キートンがコンビを組んで、最後に至福の舞台を見せてくれます。いまの子供たちがチャップリンの映画を見て笑うかどうかはちょっとなんともいえないですが、ぼくは大爆笑でした。まさに名人芸の舞台でした。
栄光の大スターだったチャップリンが、雑草という言葉をセリフとして語っても、なんとなく鼻白む思いをする人がいるかもしれません(そういうレビューもあったそうです。感傷的すぎるといったような。ただ、スターになるまではチャップリンはとても苦労をしたそうですが)。けれども、最後までコメディにこだわりつづけたチャップリンの笑いに勇気づけられた人たちは世界中にいるでしょう。いまでもこうして遠い外国でテレビ放映されているくらいですから。刈られても、刈られても、たくましく生きる雑草のように、勇気をもって生きていきたいと思いました。最後に『ライムライト』から有名なセリフを一つ。
「人生に必要なものは、勇気と想像力と、ほんの少しのお金」
最後の部分はちょっとチャーミングにつけくわえてください。あの放浪紳士チャーリーの笑顔で。
NEWS板橋校室長
三木 裕