新聞に、韓国の映画監督イ・チャンドンという方のインタビューが載っておりました。「ポエトリー/アグネスの詩」という新作映画の公開に合わせての記事のようで、孫の集団暴行事件をきっかけに忌まわしい現実と向き合うことで詩を書く意味を問うた老女の物語だそうです。かなり重い主題のようです。申し訳ないですが知らない映画監督でしたが、興味深く記事を読みました。
「私自身も悩んできた。10代から詩を書き、小説を書きながら、何の役に立つのかと。自分の書いた一文が世の中を変えられるか? 無力に思えた。世界は決して美しくないのに、美しさを探すことに何の意味があるのか?」
詩や映画だけに限らずあらゆる表現の世界に携わる人間が一度は感じる思いではないでしょうか。監督の言葉はつづきます。
「美しさを探す気持ちはどの人にもある。だから詩は私たちを人間らしくしてくれる。しかし最近はそんな考えが軽視されている。経済的な価値ばかりが求められる。詩に経済的価値は一銭もない。でも人生の支えになっている。」
ぼくは詩人ではありませんが、言葉の美しさに、人生の大きな部分を支えられてきたという思いはあります。もちろん、ぼくも経済的な価値の中で生きている人間の一人です。塾の講師として、多くの人からお金をいただいて生きています。作文を上手に書けるようになることや、国語の点数が取れるようになること、などでです。けれども、その上で、どうしてももっとほかにも伝えたいことがあるのです。それが、ぼくの中の詩なのかもしれません。
「人は常に様々な所で苦しんでいる。テレビでそれを見ても、自分には関係ないと思う。でも自分の人生とどこかでつながっているかもしれない。誰かの苦痛が自身の日常と本当に無関係なのか?」
詩はなぜ必要なのでしょうか? ぼく自身いまも考え続けている途中です。
NEWS板橋校室長
三木 裕