今週、やなせたかし先生の訃報のニュースが流れました。心よりご冥福をお祈りいたします。
このコラムの欄にも何度も書かせていただきましたが、ぼくは、やなせ先生の大ファンのひとりで、かつ、もちろん自称ですが弟子であり、生徒であります。やなせ先生が長く編集長をされていた『詩とメルヘン』という雑誌に、ぼくはずっと投稿をしておりました。はじめて採用通知が来たときは天にも昇る気持ちでした。その後、やなせ先生から直接、賞をいただく機会もあり、毎年2月に行われるやなせ先生の誕生日のお祝いをかねたパーティーにも呼ばれるようになりました。お祝いといっても会費は全部やなせ先生が出してくださるのですが……。
やなせ先生はとにかく超のつく人気者ですから、パーティーではいつもたくさんの人に囲まれています。なかなかお話をすることはできませんでしたが、それでも、ほんの少しごあいさつだけさせていただきました。「三木くんのお話はおもしろいよね」そういっていただいたときのぼくのよろこびがどれほどだったか。もう言葉では語れません。
パーティーでのやなせ先生は、まさにエンターテイナーでして、いつも楽しい歌のショーを見させてもらいました。人を喜ばせることがなによりも好きというやなせ先生はいつでも自分が先頭に立って、まわりの人を笑わせていました。お体の具合をぼくらも心配はしておりましたし、ご自分でもいろいろおっしゃっておりましたが、ぼくたちの前では決してつらそうな姿は見せませんでした。
アンパンマンのイメージや、正義や勇気のメッセージなどで、やなせ先生を、聖人君子のような方だと思う方もいらっしゃるかもしれません。それが間違っているとも思わないのですが、ぼくがお会いしたやなせ先生は、もっとちゃめっけたっぷりで、ときにユーモラスな毒舌で爆笑させる、かっこよくて、おしゃれで、やんちゃなガキ大将のような人でした。アンパンマンとばいきんまん、どっちもやなせ先生なのでは? とぼくは思ったものです。
『詩とメルヘン』で出会った仲間たちとはいまでもずっと友達です。やなせ先生は、いつまでも『詩とメルヘン』にばかりいないで、よそでもっと稼いで、おれを楽にしてくれよ、とみんなにいっていました。でも、『詩とメルヘン』があまりに居心地がよかったので、みんな卒業なんてしたくなかったです。ぼくもいまだに生徒のつもりです。みんな、それぞれの道を歩いてはいますが、たぶん、ぼくと同じように思っている人が多いと思います。
ぼくがはじめて出版した童話の本の主人公が『タカシくん』なのは、もういまさらその理由を書く必要もないでしょう。ぼくは、とにかく人を笑わせる物語が書きたいと思っていました。笑わせることは、とても難しいことだと思うのですが、泣かせる物語、感動する物語、怒りの物語にくらべると、なんとなく一段低く見られがちです。ぼくは、それでも、読んだ人を笑わせて、ああ、おもしろかった、といってくれる物語が書きたかったのです。そんなぼくの背中を押してくれたのがやなせ先生でした。あの、やなせ先生が、おもしろかった、といってくださったのです。もうこれ以上の言葉はありません。
やなせ先生がもういらっしゃらないということが、自分でもこれほどショックだとは思いませんでした。けれども、あの懐かしく、すばらしかった『詩とメルヘン』の生徒のひとりとして、いつまでもその名前とともに生きるために、ぼくも新たな一歩を踏み出さなければなりません。人を喜ばせることがなによりも好きだとおっしゃっていたやなせ先生の思いを、ぼくも、ぼくの言葉と行動でつむいでいくこと、これがこれからのぼくの目標です。やなせ先生には遠く及ばないにしても、その意思をつぐ、つぎたいと思うもののひとりとして、自分にできることをせいいっぱいやりきりたいと思います。
やなせ先生、本当にありがとうございました。
NEWS板橋校、NEWS青葉台校、NEWSセンター北校室長
三木 裕