前回、引退後のイチロー元選手のインタビューから、将棋・囲碁の棋士に対することばをご紹介しました。勝負の世界に生き、あれほどの実績を残したイチローだからこその、『負け』ということばを使う意味の重さに感動しました。
さて、今回もそのインタビューからご紹介いたします。まずは、イチロー元選手のこんな発言から。
『アメリカへ行ってみて感じたのは、英語なんて勉強してる場合じゃないということでした。』
インタビューアーの人は、驚いて、逆じゃないんですか、と聞きます。それの答えです。
『学ばなきゃいけないのは日本語のほうです。もっと言えば国語か。2000年までの日本でプレーしていたときの僕には、言葉について深く考えることはありませんでした。ずいぶん不用意にものを言っていましたし……それがアメリカへ行って何年か経ったころ、自分なりに言葉を大切にしなくてはと思ったんです。』
イチローの発言ともなれば、その影響力はとてつもなく大きなものとなります。自分の意図したこととちがうようにとられることもあったのでしょう。
『自分が発した言葉を振り返って、こういう表現をしたほうがよかったかなとか、そういうことを考えるようになったのもアメリカへ行ってからです。』
アメリカでプレーができるのは日本の野球選手の中でもごくわずかですし、その中でも、イチローほどの実績を残したものはいません。もうことばではなく、数字ですべて語られているのでは、とすら思いますが、それでも、イチローは、日本語、国語を学ばなければ、というのですね。それは、自分の発言の影響の大きさがわかっているから、でもあると思いますが、それよりも、真剣に伝えたい、伝えなければいけない、と思うことがあるからなのだろうな、と思いました。
あれほどの選手が、引退し、もしも国語の先生になったら(NEWSで!)、どんなすばらしい先生になるだろう、と思いました。みんな一言ももらさず、その話を聞こうと思うでしょうし、なによりも、一言もおろそかにしないで、イチロー先生も、子どもたちに話してくれるだろうと思います。ぼくもいちばん前の席で聞きたいですね! 実現しますように!