前にもこのコラムで書いたのですが、ただいま北方謙三の『三国志』を読んでおります。全十三巻のうち、十二巻まで来ました。あと少しなのですが、九巻、十巻あたりから、次々と英傑たちが死んでいき、読むのがつらくなってきました。今回は『泣いて馬謖(ばしょく)を斬る』場面があり、趙雲が死ぬ場面で終わるようです。となれば次巻ではとうとう諸葛亮孔明が……。でも、もちろん最後まで読むつもりです。
いろいろな男たちが現れ、戦い、死んでいきました。英雄も死に、裏切り者も死に、軍人も、臆病者も、天才も、名も無き者たちも、大勢死んでいきます。戦いで死ぬものは幸せだ、という価値観のある時代です。しかし、そのような死に方はなかなかできません。謀略に破れたり、暗殺されたり、まったく偶然の流れ矢に当たったり、病気で死んでいったり、罪を問われて死んだりします。
馬謖という男がいました。天才軍師 諸葛亮孔明に息子のように思われ、その才能を期待されていました。しかし、大きな戦いで、致命的な失敗をしてしまいます。孔明の命令に背き、自分勝手な行動をして、結果として、軍全体を敗北に追い込んでしまったのでした。孔明は、馬謖を、処刑するしかありませんでした。国のため、民のため、志のために、泣いて馬謖を斬ったのです。
馬謖はなぜ大きな過ちを犯したのでしょうか。もちろん、実際にはわからないですし、理由が一つということもないでしょう。しかし、この本の中で、ぼくは、稀代の英雄 趙雲将軍の言葉が心に残りました。
「あの男は、知識の量は多かったが、凡庸でもあった。実戦を重ねさせ、死の恐怖に何度も晒してやれば、その知識の使い方も身につけて、立派な将軍になったろう」
あの男というのは馬謖のことです。馬謖は、あまりに才能があり、努力も重ねていたので、負けるという体験がありませんでした。それが、大きな戦いで弱点になってしまったのだというのです。
三国志の英雄たちは、みな何度も大きな敗北を受けています。大きな敗北を何度受けても、また立ち上がれることが、英雄の条件なのかもしれません。
NEWSの将棋算国教室を立ち上げたとき、将棋は、自分で『負けました』ということが大切で、ぜひたくさんの『負けました』を子どもたちに体験してほしいと思いました。だれだって、負けることは嫌です。ぼくも嫌です。けれども、負けたことのない人間なんていません。いるとすれば、負けを避けてきた人なのではないでしょうか。勉強でも、スポーツでも、習い事でもなんでも、負けを認めることは、次の成長への大事な一歩となります。
夏休み、NEWSに来て、たくさんの『負けました』と、もっとたくさんの『うれしい気持ち』を味わってみませんか?
将棋だけではなく、いろんなコースがあります。自分の好きなことや、あえて苦手なことにも、挑戦してほしいと思います。夏休み、ぜひNEWSに来てください!
※蜀(しょく)の軍師 諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が、重用していた臣下の馬謖(ばしょく)が命に従わず魏(ぎ)に大敗したため、泣いて斬罪に処したという故事から、規律を保つためには、たとえ愛する者であっても、違反者は厳しく処分することのたとえ。