もう亡くなられてしまった元将棋の名人の対談の本を読んでおりましたら、子どもの将棋の指導に関して興味深い発言をされているところがありました。ご自分の経験からの考えのようで、簡単に要約しますと、『もともと子どもは100点のものを持っているという前提で指導する』ということです。
学校はその反対の指導をします。子どもはまずなにもわからない0点の状態からスタートし、少しずつ積み上げていって100点を目指します。元名人の考えは違います。どの子も必ず100点のものを持っている、しかし、なんらかの問題があって100点から削られていく、なので、その問題を直していけば、だれもが100点となるという考えです。そういう考えのため、指導は、まず子どもをほめ、天才だ、すごい! といって、その気にさせるのがよい、というようなことが書かれていました。
勉強と将棋は違うものですが、おおいに参考になる考えだと思いました。これまでのコラムでも何回か書いてきましたが、作文と国語の指導の違いの一つの答えのなるかもとも思いました。国語は、漢字や文法のように、やはりどうしても積み上げていかなければならないものがあります。しかし、作文は、だれもが心の中に100点のものがあるのです。あとは、それをどのように表現していくか、なのです。
その同じ本の中に、こんなエピソードもありました。元名人が詰め将棋(将棋の勝ちを見つけるパズルのようなもの)の本を出しました。そこには200問の詰め将棋の問題が掲載されており、その200問を解ければ、だれでもプロ棋士になれる、といったそうです。後年、名人となるある少年も手に取り、解いていったそうです。しかし、難問も多く、途中学校なども忙しく、放り出していた時期も長かったといいますが、6、7年かけて、すべて解きました。後に名人となって、そのことをふりかえり、「問題を解けるかどうかよりも、200問全部を最後まであきらめず解き続けることのできる人間のみがプロになれるという意味なのだと思います」といい、作者の元名人がうなずいておりました。これも、考えさせられるお話ですね。
必ずしも教育の本でなくても、勉強になることはたくさんあります。NEWSももうすぐ夏休みになります。この本の続きなども含め、いろいろと本を読んでみようと思います。
NEWS板橋校室長
三木 裕