『じつは聖徳太子はいなかった』という説があります。そして、教科書の記述から聖徳太子の名前がなくなるかもしれないという話もあるようです。実際にいまの教科書も「聖徳太子(厩戸皇子)」とか、「厩戸王(聖徳太子)」という書き方になっているものが多いそうです。推古天皇の摂政として、十七条の憲法、冠位十二階、遣隋使派遣、法隆寺建立などなど、歴史上の有名な出来事を次々と行い、十人の話を一度に聞くことができたという伝説の人物は架空の存在だったのでしょうか?
なぜこのようなことになったかは、いろいろな歴史上の考え方があり、どれが正しいのはかんたんには(ぼくには)いえないのですが、厩戸皇子はたしかに実在する人物だが、聖徳太子が行ったとされることすべてを厩戸皇子がやったのかどうかは疑問が残るから、ということのようです。もともと聖徳太子というのは本名ではなく、そのすばらしい業績からあとで付けられた名前で、その際に、あたかもこれらの業績をすべて一人で行ったかのように伝説の人物化されたのではないかというわけです。
なにせ1400年も昔のことですからくわしい資料がないのも当然で、結局なにが正しいのかは、確実にはわかりません。歴史上のできごとでも、ひとつの資料で大きく変わってしまうことがたくさんあります。ぼくが子どものころに習ったことで、いまはちがう解釈をされているものもいくらでもありますので……(足利尊氏の絵とか)。
ただ、いま社会を習っている子たちは、いまの教科書で歴史を習うわけですから、いまの教科書の歴史が、日本の歴史になります。来年には変わってしまうかも……とまではいいませんが(その可能性はゼロではないにしても)、ときに歴史は変化するもので、だからこそ歴史は決して過去だけのものではなく、いまにつながるダイナミックでおもしろいものなのだ、ということは、NEWSで社会を習っている子たちにも話したいと思います。社会が苦手……という子は多いですが、少しでも興味を持ってくれたらうれしいですし、学習意欲につながってほしいと思います。
NEWS板橋校室長
三木 裕