ある小説家の随筆を読んでおりましたら、日本語のすばらしさを語るところで、ちょっとおもしろい事例が載っておりましたのでご紹介したいと思います。
まず、ある場面をご想像ください。何人かで食事に来ています。和洋中なんでもあるお店です。メニューを見て、ひとりがいいました。
「ぼくは鰻だ」
よくある場面ですね。ぼくは鰻を注文して食べます、ということです。そして、全員の注文が済み、たくさんの料理が一度に運ばれてきました。ところが、店員さんが、だれになにを置こうか迷っています。そこで、「鰻のご注文は?」とたずねました。そこで、その人がいいました。
「ぼくが鰻です」
これもごくありふれた場面ですね。ぼくの注文したのは鰻です、ということです。ところが、日本語としてそれぞれを切り取ったとき、これを翻訳機みたいなもので訳すことができるでしょうか? 前後の場面を詳細に書いたとしても、機械が、「ぼくは鰻を注文して食べます」とか「ぼくの注文したのは鰻です」と訳すのは無理だと思うと本には書かれていました。いまから40年くらい前の本でしたが、いまの機械でも無理でしょうね。
これは、どんなときでも、必ず「~を注文する」にすればいいというものではもちろんなく、その代表的な例としてその小説家は次の一文をあげていました。
「吾輩は猫である」
これを、わたしが注文したのは猫です、と訳してしまったら台無しですね。この場合は、わたし=猫になります。こういった例を、特に深く考えなくてもできるのが、日本語のすばらしさだと書いてありました。
たとえば、注文が来たとき、「鰻はぼくです」といってしまうこともあります。なんだかちょっと文学的な響きがあるような気もします。英語でもひとつ思い出しました(たぶん)。『嵐が丘』という小説に「私はヒースクリフです」というセリフがあったような気がします。ヒロインが、結ばれない恋人の名前をいう美しいセリフだったような。鰻や猫ではないので、「えっ、同一人物だったの!?」と間違える人はいないでしょうが……。
ふだんのなんでもない言葉にもユーモアや美しさがあったりします。そういうこともNEWSの授業でみんなと話せたらいいなと思います。