元ラグビーの日本代表監督でもあり、すばらしい選手でもあった平尾誠二氏が亡くなられたというニュースには本当に驚きました。まだお若いのに本当に残念でなりません。
ぼくは父親が昔ラグビーをやっていたこともあり、子どものころからよくテレビで試合を見ていました。平尾選手の高校、大学時代の活躍は記憶に無いのですが、社会人ラグビーでの7連覇のころはよく見ておりました。ラグビーの選手というと、とにかくでかかったり、ごつかったり、ひげだらけのむさくるしい選手が多かったですが、平尾選手だけは、スマートでかっこよかったですね。グラウンドを広く見て、頭で勝つというような印象がありました。
ぼくは選手、監督としての平尾誠二氏をテレビで見ていたわけですが、より好きになったのは、平尾氏の著作を読むようになってからです。最近も、こちらの先生のコラムの455回のときにご紹介しておりますが、ラグビーについて語っていても、それがもっと広く、深く、日本人や、教育問題にもつながっていくという、その豊かな内容にいろいろなことを考えさせられました。
亡くなられたというニュースを見たあと、うちにある平尾氏の本を開いてみました。ぱらぱらとめくってみたところ、こんなことが書いてありました。
日本人はチームプレーが得意、という評価がある。だが、本当にそうだろうか。むしろ、優れた個人技はあっても、それを瞬間的に結びつけるチームプレーが下手なのではないかと思う。
日本が得意とするチームプレーとは、優れた個人技を融合してでき上がったものではなく、あるフォーメーションをまずつくり、そこに個人を当てはめていくというものだ。まず決まった型があり、それに合わせて個人が練習していく。
マニュアルがあれば、どう動けばいいか判断ができるが、マニュアルにない事態になったときにどう対処してよいかわからない。これは、スポーツだけの話ではない。官庁も企業も、教育現場もそうなっているのではないか。
こういうことの限界が、もう来ているのだ。』
1999年に書かれた本です。日本人といえば、個人技に劣る分、チームプレーで世界に対抗してきたというイメージがありますが、そうではないのではないかという指摘は、いまでも新鮮で、まったく色あせておりません。それどころか、さらに当時より限界が近づいてきているのではとすら思います。しかし、その一方で、平尾氏がやろうとしていたことも、芽吹きはじめているとも思います。昨年のラグビーのワールドカップの日本チームの大健闘、南アフリカ戦の最後の1プレーがそれを物語っています。2019年の日本で行われるワールドカップを平尾氏にぜひ見てほしかったと思わずにはいられません。
同じ本に、自分は日本チームのことを『平尾ジャパン』と呼んでほしくない、主役は選手たちなのだから、という言葉もありました。リーダー、あるいは、先生と呼ばれる立場のもの(ぼくも含めて)はその意味をしっかり考えないといけないと思いました。本当に亡くなられたことは残念でした。ご冥福をお祈りいたします。これからも、平尾氏の書かれた本を読み返していこうと思います。
NEWS板橋校室長
三木 裕