もう何十年も中学生の国語の教科書に載りつづけているヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』という小説があります。蝶に見せられた少年が、隣家の男の子が持っている美しい蝶に心をうばわれ、つい盗んでしまい、そして……。後味のあまりよくない物語のインパクトのためでしょうか、隣家の少年の意地悪なキャラクターや、最後に自分の蝶のコレクションをつぶす場面など、大人になっても覚えているという方も多いようです。正直、ぼくもあまり好きなお話ではなく、定期試験対策で中学生のみんなに教えるときも、またこの物語か……、とすこし憂鬱な気分になったりしました。
ところがです。試験対策問題をやっていた中1の女の子が、主人公の少年の気持ちがわかる、というのです。あまりの美しさについ盗んでしまったという心情だけではなく、そのあとの思いを想像しているようでした。その女の子は、苦労して、何度も、わかるなー、わかるなー、と繰り返しながら、次のようにいったのでした。
後悔だけでもなくて
怒りだけでもなくて
もちろん罪悪感はあって
蝶はものすごく好きで……
それが全部まざってるんだけど
いまのわたしにはそれを表現することができない
でも、わかるなー
その女の子がいうのを聞いていて、おお、と思いました。わたしには表現できないといっていますが、十分、いろいろなことが伝わってきます。主人公の思いが、自分の中のなにかにふれたのでしょう。テスト対策のことばかり考え、わかりやすく説明することにばかり気を取られていたぼくは、とても反省しました。うまく言葉にしてしまうことで失われてしまうものもあるのかもしれない、と思いました。
毎年教科書に載っている物語でも、はじめて読む子どもにとっては、まだ真っ白なところから始まります。子どもたちのやわらかいハートを、もっと信頼しないといけませんね。文学作品の力をあらためて教えてもらった国語の授業となりました。
NEWS板橋校室長
三木 裕